2008年11月17日月曜日

小さい自分

あまりにも小さい自分がときどき見える
なぜ小さくみえるのだろうか?
それは小さい部分を見ているからだと思う
そこはあくまでも部分だ
全体ではない
誰かのことを良く思えないとき
それはその人の「ある部分」に過ぎない
そして他人の「ある部分」しか見えていないときにこそ
そんな自分が小さく見える
全体を見よう
崇高な部分を見せてもらおう
ありがたく
目の前のその人のそのままの
全体を見よう
賢い視点を磨こう

2008年11月9日日曜日

ここにいる人

わたしの友人に
あちこち移動していることがたまらなく好きな人が何人かいる
もう家にいることに我慢できないならしい(笑)
それはそれは楽しそうに移動し続ける
とにかく外に出て
知らない土地に行くことに喜びを感じる彼ら
わたしはどうなんだろう?
ここのところ自分の経験や今までの人生をふるいにかけるような
時間をすごしていたんだけど
ふるいにかけて残ったことがあまりにも簡素で(笑)
ちょっとショックだったりものすごく幸せだったりで
なんとなく自分についてのアレコレがまっさらな感じなのです
それでさてわたしはどんな人間なんだろう?なんて思ったら
たぶん「ここにいる人」なのではないかな?と。
そうやってあちこち飛び回る友人たちがふと戻ってくる
そのときにわたしは「ここにいいる」
流れを眺め
月日を重ね
あらゆるものを静かに育み
わたしはここにいる
「ここ」という位置は多少変ったとしても
わたしはジプシーではなく
土着なのね(笑)
そして本当に歳月を何とも思わないで
「あらおかえり!」と言える
そういう存在なのではなかろうかと
静かに思う今日この頃です

2008年10月25日土曜日

何もないときは何も出さない

何もない時には
何も出さない
出すならばそれは
ウソにより近くなるような気がするから
間を持たせようとするのは
苦しみを見たくないから
苦しみ?
間(ま)というものがなぜ苦しみなのか
そんなところにもぶち壊すべき観念がある
破壊は悪いものという印象を持つならば
それは直ちに悪いものへと変る
種から芽が出るときに
芽は種を破壊して出るというのに
もう少し沈黙の時間が必要なんだと思う

2008年10月17日金曜日

フィールドアスレチックを楽しいと思う人と
あんなきついの何が楽しくて?って思う人と
ディズニーランドが心の癒やしになる人と
かえって疲れてしまう人と
本当にみんな違いますね
だから世の中成り立つというもので
みんながフィールドアスレチックに興味を示さなかったら
フィールドアスレチックは存在しなくなってしまう
わたしという存在も同じなんだな
こんな人も必要で
同じようにみんなそれぞれが必要で
みんな違う要素を持っていて
どこかでそれは活かされる
わたしはアスレチックみたいなこと
すごく好きなんですよねぇ(笑)
超える楽しさ
それは手放しで安心して楽しいものではないんだけど
だって真剣勝負してないとケガしちゃうしね
わたしにとっては超えるものがなくなるのは寂しいのかもしれない
ときどき池に落ちたりして
あるいは高いところから落ちて骨折したりして
くじけてもうやめようとか思うときもあるんだけど
なんか他にうまくいく方法があるはず?!
なんて言って
再チャレンジしてしまう(笑)
まあそういう人なんです
もしかしたら来年はそんなことまるで言っていないかもしれない
わたし変っていくので
みんな変っていくので
写真のジェムシリカ
きれいだなぁ。。。

2008年10月3日金曜日

何かが動き出す時

思い悩んでいる時には
それはとてつもなくよく考えてみなければならないと感じるし
うまくいかないかもしれないという不安も・・・
でも決断した瞬間
覚悟した瞬間から
宇宙は動き出す
それをやり遂げるために必要なことをたくさん流し込んでくる
また立ち止まった時
宇宙と私の間には隔たりができる
そしてもう一度信じた瞬間に隔たりは消える
目に見ることができたらどんなにいいだろう!
でもそれを
見えないものを信じる訓練をするために
ここにやってきたのかもしれない
たくさんの思っても見ない選択肢がある
わたしの脳はとても小さいけど
宇宙は無限
大好きな人大好きな場所大好きな時間とつながって
触れることのできる奇跡のなんと多いことかを思い知りながら
毎晩深い眠りにつく