2010年3月7日日曜日

謎というのは例えば
たいてい箱に入ってるように思う
どんな謎でも
気になることであれば
チャンスをみながら
それが入っている箱を開けることに
挑戦してみたらいいと思う
何が出てくるか解らないという怖さはあるけど
ひとは本当に開けてはならない箱というのは
本能的に解るものだと信じている
開けてみれば意外とたいしたものではないかもしれないし
一瞬見て
また即座に蓋をしてしまうようなものかもしれないし
箱の中にはまた箱があるかもしれない
パンドラの箱だって
あれは結局悪いものであっただけなわけではなく
確かに恐れがたくさん出てきてしまったけど
それをなんとか出来るという可能性が
わたしたちにあったということだし
それに対処するすべを
その後得ることになった
まだ対処しきれていないこともあるのだけど
きっと人類は
対処するすべを今も学び続けている
箱から出てきたものを
それがどんなものなのか知るために
出来ることをしていたら
いつかきっとその箱に入っていたものが
その人に幸せをもたらすのではないだろうかと
なんだかすごくそう思う
いくつか注意するとすれば
何だかわからないからといって
必要以上に怖がらないで
好奇心の部分で探求してみる
ということと
正解を探そうとしないで
観察を続ける
そんなことかなと思う
知らないものというのは
怖さと好奇心を生み出す
ワクワクさせるおもちゃみたいなものだと
そんなふうに思えたら
ちょっと楽しいかもしれない



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