謎というのは例えば
たいてい箱に入ってるように思う
どんな謎でも
気になることであれば
チャンスをみながら
それが入っている箱を開けることに
挑戦してみたらいいと思う
何が出てくるか解らないという怖さはあるけど
ひとは本当に開けてはならない箱というのは
本能的に解るものだと信じている
開けてみれば意外とたいしたものではないかもしれないし
一瞬見て
また即座に蓋をしてしまうようなものかもしれないし
箱の中にはまた箱があるかもしれない
パンドラの箱だって
あれは結局悪いものであっただけなわけではなく
確かに恐れがたくさん出てきてしまったけど
それをなんとか出来るという可能性が
わたしたちにあったということだし
それに対処するすべを
その後得ることになった
まだ対処しきれていないこともあるのだけど
きっと人類は
対処するすべを今も学び続けている
箱から出てきたものを
それがどんなものなのか知るために
出来ることをしていたら
いつかきっとその箱に入っていたものが
その人に幸せをもたらすのではないだろうかと
なんだかすごくそう思う
いくつか注意するとすれば
何だかわからないからといって
必要以上に怖がらないで
好奇心の部分で探求してみる
ということと
正解を探そうとしないで
観察を続ける
そんなことかなと思う
知らないものというのは
怖さと好奇心を生み出す
ワクワクさせるおもちゃみたいなものだと
そんなふうに思えたら
ちょっと楽しいかもしれない
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