2010年4月21日水曜日

豊かさとは

夕べテレビを見ていたら
すごく私が思っていることにぴったりの
言葉がでてきた
それはこんな言葉

本当の豊かさとは
自然から与えられているものを
そのまま十分に楽しめること

自然を楽しめることが本当の豊かさ
本当にそうだと思う
そして
今ある状況
今与えられている状況やもの
それらを十分楽しめる
それが豊さなんだと思う
欲しいものを手に入れるための
努力とかいろいろも大事
でも一番大事なのは
今ここにすでにあって
使えるもの
今ある知恵や勇気や環境を
存分に楽しんだなら
次がやってくるんだと思う
ないことを思うよりも
あることを思う
これが豊さなんだと
思う


2010年4月18日日曜日

こころの痛み

言いたいことを素直に言えなかった
伝えたいことをちゃんと伝えられなかった
わたしが悪いということにすれば
収まるのではないかという思いから
わたしは私自身を欺いてしまった
未消化の感情とは
こんな後になってまで
わたしのこころを蝕むのかと
気付く
発せられることばに深く傷ついたのに
それを言えなかった
先輩とか後輩とか
そういうことなんて
関係のない間柄だったというのに
もう終わったことであっても
こころの中では終わっていないことって
たくさんあるんだと思った
ひとつずつ思いをみつけだして
本当はどうしたかったのか
ちゃんと見てみたら
ケンカしたかったんじゃないってことを
再確認した
だから
同じこと繰り返さないようにして
前に進もうと思う




2010年4月8日木曜日

ヒマラヤ水晶のブレスレット

あるお店で衝動的に作ってもらった
ヒマラヤ水晶と蓮の蕾のブレスレット
このヒマラヤ水晶はわたしにとって
とても柔らかな存在で
ブラジルの水晶とも
マダガスカルの水晶とも違って
わたしの細胞と同じ成分で出来ているのでは?
と思うくらい
馴染んでいたので
お風呂に入るときも
眠るときも
かれこれ半年以上
いつもつけていた
それが
4月に入ってなぜか
外したくなる
嫌な感じがするのではない
「つけている」ということが
意識に上ってくるのだ
腕についている
そういう感覚が強くなった
そして
いつの間にか
気付かないうちに外していて
またつけるのだけど
なんとなく違和感というか
いままでみたいに馴染まない
好きなのに・・・
漠然と4月から大きな動きがある
そんな風に感じていたから
不思議でもないんだけど
少し寂しい感じ
この水晶のブレスレットは
わたしのサポートをしていたのだろうか?
ずっとわたしの左手首で
どんなことをしていたんだろうか?
それがなくなること
それはわたしにとってどんな意味があるんだろうか?
エネルギーの使い方は
なんとなく解ってきた
エネルギーというのは
思考であったり
意識であったり
時間であったり
お金であったり
自分の体であったり
誰かとの関わり方であったり
そういうものの使い方が
解ってきた感じはある
使い方というのは
どうやったらわたしにとって
有効に使えるかだ
そして有効に使うためには
どんなふうになりたいかが
明確でないとならないことも
よくよく解ってきた
4月はもう始まったけど
4月からわたしは
そういうことをどんどん実践して
検証しながら
さらなる信頼を深めるのだろう
ひとまずここで
自分でやっていく
そういうことなんだろうか?
なんて思ったり・・・
でもこのブレスレット
本当に好きだから
つけたいなぁ・・・




2010年4月4日日曜日

人との関係

人と信頼関係を結ぶには
自分から働きかけることだと思う
この人を信頼してる
あるいは信頼したい
そう思ったら
自分から信頼する
そして
その人に対して
余計な遠慮や過度の心配をする前に
きちんと確認をする
確認すれば妄想が広がっていくこともないし
不安に押しつぶされることもないだろう
助けて欲しいときには
助けてと言う
助けが来るのを待っているではなくて・・・
開くということは
助けてと言えること
待つというのはのは閉じている行為でもある
助けが来るのを待つしかないこともあるかもしれない
それでも助かることにフォーカスしてみる
もしも本当に助かりたいならば・・・
それでも最後に立つのは自分
立てば
しゃがみ込んでいたことに気づく
何てことはない
立って
一歩一歩前に進む
それだけ
そこから出るには
立ち上がること
そうすると視界が変わる
ずっとしゃがみ込んでいて
弱った脚が悲鳴を上げても
一歩一歩歩くことで
少しずつ鍛えられる
疲れたら休んで
怪我をしたら助けてもらう
助けてと言う
すみれみたいに
可憐で強い命もある