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夕べテレビを見ていたら
すごく私が思っていることにぴったりの
言葉がでてきた
それはこんな言葉
本当の豊かさとは
自然から与えられているものを
そのまま十分に楽しめること
自然を楽しめることが本当の豊かさ
本当にそうだと思う
そして
今ある状況
今与えられている状況やもの
それらを十分楽しめる
それが豊さなんだと思う
欲しいものを手に入れるための
努力とかいろいろも大事
でも一番大事なのは
今ここにすでにあって
使えるもの
今ある知恵や勇気や環境を
存分に楽しんだなら
次がやってくるんだと思う
ないことを思うよりも
あることを思う
これが豊さなんだと
思う
言いたいことを素直に言えなかった
伝えたいことをちゃんと伝えられなかった
わたしが悪いということにすれば
収まるのではないかという思いから
わたしは私自身を欺いてしまった
未消化の感情とは
こんな後になってまで
わたしのこころを蝕むのかと
気付く
発せられることばに深く傷ついたのに
それを言えなかった
先輩とか後輩とか
そういうことなんて
関係のない間柄だったというのに
もう終わったことであっても
こころの中では終わっていないことって
たくさんあるんだと思った
ひとつずつ思いをみつけだして
本当はどうしたかったのか
ちゃんと見てみたら
ケンカしたかったんじゃないってことを
再確認した
だから
同じこと繰り返さないようにして
前に進もうと思う
あるお店で衝動的に作ってもらった
ヒマラヤ水晶と蓮の蕾のブレスレット
このヒマラヤ水晶はわたしにとって
とても柔らかな存在で
ブラジルの水晶とも
マダガスカルの水晶とも違って
わたしの細胞と同じ成分で出来ているのでは?
と思うくらい
馴染んでいたので
お風呂に入るときも
眠るときも
かれこれ半年以上
いつもつけていた
それが
4月に入ってなぜか
外したくなる
嫌な感じがするのではない
「つけている」ということが
意識に上ってくるのだ
腕についている
そういう感覚が強くなった
そして
いつの間にか
気付かないうちに外していて
またつけるのだけど
なんとなく違和感というか
いままでみたいに馴染まない
好きなのに・・・
漠然と4月から大きな動きがある
そんな風に感じていたから
不思議でもないんだけど
少し寂しい感じ
この水晶のブレスレットは
わたしのサポートをしていたのだろうか?
ずっとわたしの左手首で
どんなことをしていたんだろうか?
それがなくなること
それはわたしにとってどんな意味があるんだろうか?
エネルギーの使い方は
なんとなく解ってきた
エネルギーというのは
思考であったり
意識であったり
時間であったり
お金であったり
自分の体であったり
誰かとの関わり方であったり
そういうものの使い方が
解ってきた感じはある
使い方というのは
どうやったらわたしにとって
有効に使えるかだ
そして有効に使うためには
どんなふうになりたいかが
明確でないとならないことも
よくよく解ってきた
4月はもう始まったけど
4月からわたしは
そういうことをどんどん実践して
検証しながら
さらなる信頼を深めるのだろう
ひとまずここで
自分でやっていく
そういうことなんだろうか?
なんて思ったり・・・
でもこのブレスレット
本当に好きだから
つけたいなぁ・・・
人と信頼関係を結ぶには
自分から働きかけることだと思う
この人を信頼してる
あるいは信頼したい
そう思ったら
自分から信頼する
そして
その人に対して
余計な遠慮や過度の心配をする前に
きちんと確認をする
確認すれば妄想が広がっていくこともないし
不安に押しつぶされることもないだろう
助けて欲しいときには
助けてと言う
助けが来るのを待っているではなくて・・・
開くということは
助けてと言えること
待つというのはのは閉じている行為でもある
助けが来るのを待つしかないこともあるかもしれない
それでも助かることにフォーカスしてみる
もしも本当に助かりたいならば・・・
それでも最後に立つのは自分
立てば
しゃがみ込んでいたことに気づく
何てことはない
立って
一歩一歩前に進む
それだけ
そこから出るには
立ち上がること
そうすると視界が変わる
ずっとしゃがみ込んでいて
弱った脚が悲鳴を上げても
一歩一歩歩くことで
少しずつ鍛えられる
疲れたら休んで
怪我をしたら助けてもらう
助けてと言う
すみれみたいに
可憐で強い命もある