2008年12月11日木曜日

自立

つまり自立することから始まるんだよね。
そう思った。
経済的な自立だけでなく、精神的自立。
何が起きても誰かや何かのせいにすることなく、いや、一瞬誰かや何かのせいにしかかっても、
「ちょっと待てよ、これって誰かのせいなの?何かのせいなの?」と問いただせること。
それが自立なんじゃないかと思った。
いつでも冷静に賢くいることが出来ないとしても、いつでも誰かや何かのせいにすることなく物事を受け入れることができなくても、それを目指していける、そういう態度が自立と結びついているのだと思った。
才能とか特技とか仕事とか家庭とか、そういうものって付属品みたいなもので、なんというかとても儚い。
絆とかそういうものはあるし、そういうものがどんなに大切かはたぶんわかっていると思う。
そういうものがあるから生きてゆけるときもある。
でも、なんか言葉にうまく変換できないんだけど、付属品の整備ばかりをがんばりすぎてはいないかな?なんて思う。
人はどんな人であっても、その人ができることを精一杯したら、それだけでスペシャリストなんだと思う。
「何かが足りない」そう感じることはある。
周りをみて、みんなが持っているように思えるものを自分は持っていないと感じるときがある。
それは悪くないよね。
そう感じることは悪くない。
でもずっとそればかりを思っていても人生が進んでいかない。
落ち込むし。
どんなに些細なことであったとしても、それを一生懸命こなし、もっとスマートにやるにはどうしたらいいかとか、もっとよい出来に仕上げるにはどうしたらいいかとか、それが例え小さなことであったとしても、そうすることで人生の質が上がってくるのではないかと思う。
自己愛と自己虐待は似ていると思う。
だけど本質的には全然違う。
自己愛とは自分を許すことでもあるけど、自己虐待は自分を甘やかすことでもあるかもしれない。
許すと甘やかす。
言葉にすると区別は簡単だけど、実際はこの二つはすごく微妙だと思う。
自己愛が欠落するとくじけてしまう。
自己虐待ばかりしているといじけたり、自分だけ傷つけるのがいやになって他人を攻撃したくなる。
いじけちゃダメだとも思う。
くじけてもいいけどいじけちゃダメなんだと。
結局自立っていうのは、基礎の部分で自己愛を持っていて、自己虐待をしない。
そういうことなんじゃないかと思った。
そこから外へ広がっていくのかな。
でも中心にはちゃんと自分が立っている、そんな気がしてくる。
わたしたちはみんな、いつ死んでしまうかわからないのだから、本当に、今できる精一杯のことを精一杯の気持ちでやっていきたいと思う。

2 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

コメントしに来ちゃった^^
このテーマは、今、とっても大切なテーマだという気がしてます。
また「自分を中心に」っていうのも、本当に大切な事だと実感しています。
昨日の私も、それで疲れちゃったということがわかりました。
一晩寝て起きたら、頭に浮かんだの^^

今年を表す一文字は「変」だしね。
やっぱりみんな感じてますよね。

匿名 さんのコメント...

ふわ猫ちゃん
コメント嬉しいです(^^)

言葉にすると自分を軸にとかって、ちょっといろんな意味にとれるので慎重にならざるをえないのだけど、まわりに振り回されてしまうのはたぶん自立できていないのかもしれないなって思うことがあります。

瞬間振り回されてもちゃんとすぐに戻ってこれたらいいだけだよね(^^)
考えの違う相手があって当たり前だし、違うから補えあえるということもあるし。
自分とは全く違う意見を聞くと短絡的に「あ、わたし批判されてる」って感じてしまうのは損だよね。
そんなこと言ってたら人と付き合えない。

自立していたいなと、すごく思う今日この頃です(^^)